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安倍新総裁と『復活の呪文』

マスコミの安倍さんバッシングも良識的な国民の反発によって一段落したかとは思いますが実際どうなんでしょうか。私はTV見ないからよく分かりませんが。

ところで最近、某ゲームメーカーのプロデューサーさんが、「お腹痛い!の人が総裁になった。自分なら声は掛けるが同じ立場の仕事は二度とやらせない」みたいな呟きをしていましたが、このメーカーの合併元である会社の『ドラクエ』ってゲームには確か、『復活の呪文』というのがあったと思うのですが、そのプロデューサーさんはもう一方の会社のご出身みたいなのでご存じないのかも知れません。

そんな訳で、安倍さんが日本を救う勇者かどうかは分かりませんが(勿論そうあって欲しい)、安倍さんが難病と戦い華麗に復活した様子が分かる記事を拾ってきました。

同じ病気と闘っている人や、或いは医療関係者にとっても安倍さんの活躍は心強いだろうなって思います。




ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200801230005o.nwc

安倍晋三前総理の手記(下)
2008/1/23


『文芸春秋』2月号の手記「わが告白 総理辞任の真相」で、安倍晋三前総理は、「潰瘍性大腸炎」という厚生労働省が特定疾患に指定している難病が持病であることを告白した。安倍氏は、

政治家にとって、病気はタブーであり、病名や病状が公になれば、政治生命を危うくすることさえあります。しかし、今回の辞任の理由をご理解いただくには、この持病についても包み隠さず告白すべきだと考えるに至りました〉

と述べている。そして、17歳のときに初めて発症して以来、年に1度、平均すれば2週間ほどこの病気に悩まされていたことを具体的につづる。

〈自己免疫疾患といって自分の免疫が異物と勘違いして自分の腸の壁を攻撃し、その結果、腸壁が剥落し、潰瘍となり、爛れて出血するのです。腸壁が刺激されるたび、三十分に一度くらいの頻度で便意をもよおします。夜もベッドとトイレの往復で、到底熟睡などできません。内視鏡で大腸内を見たときも大きなショックを受けました〉

人間は誰でも1つや2つの持病をもっている。持病が政治家としての職務遂行に影響を与えないならば、それはあくまでも個人のプライバシーで、公表する必要はない。しかし、安倍氏が抱えている病気は、総理としての執務遂行に悪影響を与えることがある。筋論からするならば、自民党総裁選挙の時点で安倍氏は、この持病について公表し、発症した場合の対応策を述べておくべきであった。その上で総裁選挙の洗礼を受けるべきだった。

2007年9月7日から9日まで、オーストラリアのシドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の後の状況は、深刻だった。

〈なにしろ食事がまるでとれず、七十キロあった体重は、一カ月で六十三キロまで落ち込みました。食事がとれないと、体力ががっくりと衰え、体に鉛を流し込まれたように重く感じられます。それにともない、気力も萎え、思考能力も鈍ってきます。まともな判断が徐々に難しい状態になっていたのかもしれません

そして、9月10日の参議院における所信表明演説で、原稿を3行読み飛ばしてしまう。ここで、安倍氏は、自らの判断力に危機を感じ、辞意を固めた。

このままの状態で総理大臣としての職責を果たすことができるか、正しい判断ができるか、国会に十分に対応することができるか――我が身を省みるに、誠に残念ながら、それは不可能であると認めざるを得なかった。それが辞任を決断した最大の理由です。あの三行の読み飛ばしは決定的な要因のひとつだったと思います

安倍氏は辞任に至る自らの心の動きについて、正直に告白している。この正直さに筆者は敬意を表する。

執務に影響を与える総理の病気という問題は、国家の危機管理の観点から重要である。それならば、持病をもった人物は政治家、特に総理になってはならないということか。筆者はそうは思わない。総理として必要とされる能力、洞察力、判断力、決断力、指導力などと持病を抱えているか否かは、本質的に関係のない事柄だ。小児まひのため歩行に困難があったフランクリン・ルーズベルト米大統領はたぐいまれな指導力をもっていた。そのため、米国憲法の唯一の例外として、大統領3選を認められた。そうしなくては第二次世界大戦にアメリカが勝利することはできないと圧倒的大多数の米国民が考えたからである。アメリカの場合、大統領が事故、健康などの理由で執務に支障が生じた場合、ただちに副大統領がその職務を遂行する態勢がとられている。副大統領は常に「まさか」の場合に備え、情報を読み、心構えをしている。

日本の場合も副総理制を設け、「まさか」の場合に、ただちに副総理が国家を統括する態勢を整える必要があると筆者は考える。安倍氏は勇気をもって、今回、自らの病気と辞任の真相について告白した。このことを無駄にしてはならない。与党も野党も、政争の駆け引きを越えて、国家の危機管理の観点から、副総理制の導入について議論してほしい。

筆者は、持病が完治することがなくても、安倍氏には、よき副総理候補とペアになって再び総理の座を狙ってほしいと思う。安倍氏の活動が日本に本格的な保守政治を根付かさせるために、これからも必要とされるからだ。

※この記事がアップされていたサイトはSankeiBizに変わってしまい、それに伴い記事も削除されてしまいました。なのでこれはキャッシュから拾ってきました。

この記事を目にした時、安倍さんが突然辞任された謎が解けたと同時に、マスコミに対して強い憤りを覚えました。安倍さんがマスコミから連日バッシングを受けていた「年金記録問題」。あれだけの批判に晒されたら、通常の人間であっても具合が悪くなってしまうだろうに、しかもそんな難病に苦しんでいたなんて。しかも安倍さんが辞任したらあれだけ大騒ぎしていた年金記録問題もすっかり忘れ去られた様に騒がれなくなりました。もしかしたらマスコミは病気の事を知っていて過剰なストレスを与え続けたのか、それは分かりませんがマスコミを許せない思いが強くなりました。

当時から年金記録問題に関しては「どう考えたって内部リークでしょ!」と思っていましたが、あの時一躍時の人となった「ミスター年金」こと長妻は、民主党政権が誕生してみたらミスター年金でも何でも無い事が証明されました。結局中の人から安倍さん叩きの為の情報を貰っていただけでしたね。

更に昨年判明した、北朝鮮と繋がりのある『市民の党』と菅との『連携支援』。菅の政治団体である『草志会』から、政治団体『市民の党』派生の『政権交代を目指す市民の会』へ「連携・支援」という訳の分からない名目で6250万円を献金していた問題。鳩山の政治団体からも1000万。民主党からこの団体へ流れたお金は1億円以上と言われています。どう考えたって異常です。

※自民党・古屋圭司議員ブログの2011.8.9エントリー「菅総理献金問題を追求」に国会質疑で使われたパネルがPDFとしてアップされています。必見です。

※関連記事:「市民の党」に民主党議員が献金(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

そして「市民派選挙の神様」と呼ばれる市民の党代表の斎藤まさしの選挙応援もあり何人もの新人議員が誕生しました。この献金が行われたのが07年~09年。まさに安倍政権が惨敗した参院選の年から始まっています。

安倍さんの敵は朝日新聞を始めとするマスコミだけではなかったんですね。民団が民主党を応援していたことも後になって分かりました。こうした事実を知ったら、「お腹痛くて無責任に辞めた人」なんて軽々しく言えないと思うんですけどね。

順番が逆になりましたが、これの前の記事もキャッシュから拾っておきました。




ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200801160004o.nwc

安倍晋三前総理の手記(上)
2008/1/16

安倍晋三前総理が『文芸春秋』2月号に独占手記「わが告白 総理辞任の真相」を寄せている。安倍氏は、辞任の原因が潰瘍性大腸炎という難病にあったことを説明するとともに、内外政問題について、現職総理としては、真意を明らかにすることができなかった問題について、この手記を通じて国民に対する説明責任を果たそうとしている。この手記から、安倍氏の誠実な人柄が伝わってくる。

筆者が理解する保守とは、国民の感情に訴えるポピュリズムの手法を取らず、日本国家と日本国民が生き残っていくために必要な政策を政治エリートが責任をもって採択していく政治手法である。安倍氏は小泉氏のポピュリズム的手法から意識的に決別しようとしたことが手記の以下の部分から、浮かび上がる。

〈安倍政権においては、戦後レジームからの脱却を訴え、憲法改正に向けての国民投票法案成立、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格などを次々と成し遂げることができました。一方で、戦線を拡大し過ぎたとの指摘もあります。小泉元首相は一点突破的な政治手法で成功しましたが、私の場合も、全面突破全面展開を欲張るのではなく、戦略的に優先順位をつけていく老獪さが必要だったかもしれません。だが、悔いはありません

ポピュリズム政治では、「郵政民営化に賛成か反対か」というようなわかりやすい2項対立を作り出し、国民に決断を迫る手法が有効だ。しかし、そのような老獪な手法を取らずに、政権が失速したことについて、安倍氏は「悔いはありません」と総括する。当時の状況を考えるならば、北朝鮮、中国に対する排外主義的スローガンをあおれば、安倍氏はポピュリズムの波を作り出すことができた。しかし、それを行わなかった。靖国神社参拝問題を巡る真意について、安倍氏はこう説明する。

〈靖国参拝問題について、参拝するかしないという方針があいまいだとの批判を浴びたこともありました。大前提として、私は日本国内にある神社に祀られている英霊を総理がお参りすることに対して、外国から指図されることなど絶対にあってはならないと考えています。内政干渉を許すわけにはいきません。ただし、政治の世界では常に現実に即して戦略を考える必要がありますから、いたずらに中国との関係を悪化させ、無用な刺激を与えるようなことをする必要もありません。大切なのは、靖国神社に行く可能性と権利は決して手放してはならないということなのです〉

安倍氏は、靖国神社参拝を公約にしなかった。それ故に、現職総理として靖国神社を参拝しなかったとしても、それで政治責任を果たさなかったことにはならない。しかし、靖国神社に行く可能性と権利は、断固、留保しているのである。中国との関係を日本の総理が自主的に判断して、靖国神社参拝を差し控えるという判断をしたのである。裏返して言うならば、中国が総理や閣僚の靖国神社参拝について干渉を強めるような事態が生じれば、あえて参拝し、対決姿勢を強めるという選択肢も開かれている。それでは、その基準はどこに置かれるべきか。筆者の考えでは、3つの要素がある。

第1は、日本の世論だ。第2は、国際要因、特に中国と韓国の受け止めの問題である。第3は、靖国神社にまつられている英霊の気持ちである。英霊は、愛する人のため、家族のため、天皇陛下のため、日本国家のため、アジアのために命をささげた。安倍氏は英霊の存在を実感しているのだと思う。そして、英霊を政争や外交問題に巻き込んではならないので、安倍晋三個人としては靖国神社に参拝したいのであるが、総理として、自主的な判断として、靖国神社参拝を差し控えたのだと思う。所与の条件の中で、安倍氏は、もっとも正しい選択をしたと筆者は考える。

今年も8月が近付けば、総理の靖国神社参拝を中国が牽制してくる。その場合、中国の内政干渉に屈することなく、日本の総理として靖国神社に行く権利と可能性を毅然と表明することである。そして、先にあげた3つの要素を総合的に判断して、総理が実際に靖国神社を参拝するか否かについて決断することだ。その場合、靖国神社にまつられている英霊の気持ちを総理がどのように受け止めるかがきわめて重要になる。靖国神社ではなく、宗教的に中立な追悼施設などという誘惑に総理が陥るようになれば、日本国家は内側から崩れる。




以下の対談の全文は『日本消化器病学会』のHPでご覧いただけます。PDFより一部抜粋します。

『消化器のひろば』 日本消化器病学会の健康ニュース 2012.秋号 No.1

http://www.jsge.or.jp/citizen/hiroba/

ずばり対談

潰瘍性大腸炎を克服する

ゲスト 第90代 内閣総理大臣・衆議院議員 安倍晋三

慶應義塾大学医学部内科学(消化器)教授 日比紀文


(前略)

対談では「同じように病気に悩まされている方々に少しでもお役に立てればと、あえて自身の病気のことをお話しします」と語られています。

(鈴木秀和 日本消化器病学会広報委員 慶應義塾大学医学部内科学〔消化器〕准教授) 

20歳前後の若い世代に多発する

日比

40年にわたる潰瘍性大腸炎との闘いの歴史、および受療されました治療についての実感をお伺いしたく思います。

安倍

最初は病名のつかない時期があります。中学3年生の時、腹痛の後に下痢と血便が続き、便器が真っ赤に染まってびっくりしました。高校生になってからも年に1回くらい同じ症状が起こりました。でも1週間もすると血便はとまり元気になるので、近くの医院でもらった整腸薬のようなものを飲んでいました。今、思えば学期末試験を控えた、ストレスの多い時期に発症したように思います。

日比

この病気は20歳前後の若い世代に多発するのが特徴です。受験や就職の時期に発症するので若い人はつらい思いをします。精神的なものも誘因となり発症するのかも知れません。持続性・反復性の下痢、粘血便が特徴的な症状です。テネスムス(しぶり腹)といって頻回にトイレに行くのですが、すっきり感がないことも苦しみの1つです。厚生労働省が「難病」に指定しています。原因は免疫異常、腸内細菌異常などが指摘されていますが、不明です。

私は内視鏡や血液マーカーから臨床像を観察していると複数の原因からなる“潰瘍性大腸炎症候群”ではないかと思うことがあります。発症されたのが40年前ですから患者数も非常に少なく一般医には関心がなかったかも知れません。診断がついたのはいつのことですか。

安倍

神戸製鋼所に入社してから症状が悪化しましたので会社の病院で検査を受けて潰瘍性大腸炎と分かりました。発症から約10年後のことです。その後、慶應病院消化器内科の朝倉均先生によりきちんとした治療が始まり、炎症性腸疾患治療薬のサラゾピリンやステロイド(副腎皮質ホルモン剤)を使いました。

その後、日本で患者は急増し、治療法も進歩しました。私は潰瘍性大腸炎の変遷とともに人生を歩んできた患者と申せます。

日比

『消化器のひろば』の創刊号にお迎えするのに最もふさわしいゲストです(笑い)。日本で本格的な潰瘍性大腸炎の薬物治療が始まったのは欧米にずいぶん遅れて1970年代からです。

(中略)

その後、政治家を目指して1993年に初の挑戦で衆議院議員に当選されましたね。

安倍

なぜか2回目(1996年)の選挙のほうで大変つらい思いをしました。たびたび強い便意が起こるのですが、選挙カーからおりるわけにはいかないので脂汗をかいて我慢していました。本当に苦しかったですね。最大の危機は1998年、自民党国会対策副委員長を務めていた時でした。点滴だけの生活が続き、体重は65kg から53kg に減りました。そこで政治家の進退を賭けて慶應病院へ3 ヵ月入院しました。

政治家は志を遂げるために自分の病気は徹底して秘匿しなければなりません。病気は大きなマイナスです。家内の昭恵は「政治家なんか辞めてください」と涙ながらに訴えるし、身近な人は病気を公表して政界からの引退を勧めましたが、私は治療の結果で決めようと考えていました。腸の全摘手術も検討されました。この時、ペンタサの注腸療法がよく効いて日常生活にほとんど問題がなくなりました。ここで政治家への道へ邁進することを決断しました。

日比

お話を少し戻させていただきます。私どもの病院を受診されてから30年以上になりますが、日本人医師が潰瘍性大腸炎の研究論文を初めて発表したのは1928年のことで、その症例数は10人でした。私が医学部を卒業した1973年当時、慶應大学病院の患者数はわずか10人程度で日本全体でも1,000人前後でした。私は潰瘍性大腸炎の研究に取り組むことになったのですが、海外の文献を頼りに細々と勉強していました。現在では患者数は13万人を超えました。米国は50万人で、元大統領のD.D. アイゼンハワーはクローン病J.F. ケネディは潰瘍性大腸炎といわれています。

体調が崩れるたびに良い薬がでてきます

安倍

先のサラゾピリンを含む5-ASA 製剤はもともとはリウマチの治療薬として開発された非ステロイド系薬物だそうですね。それが潰瘍性大腸炎に使われて効果を発揮するわけです。私は病状が悪くなるたびに効果の優れた新薬が登場してきて病気を治してくれ、政治生命をどんどん延ばしてくれます(笑い)。

日比

さて、お話は総理大臣就任と1年後の辞任という場面に移らせていただきます。21世紀に入ってからは健康状態が続いておりましたね。

安倍

先の注腸療法などがよく効いて寛解状態が続き、幹事長、副幹事長、官房長官の要職を充実した思いで果たすことができました。

これなら総理大臣への挑戦も可能だなと考え、自民党の総裁選に出て勝ち、2006年9月、総理大臣になりました。ですが総理大臣は想像していたより何十倍もの激務でした。機能性胃腸症にかかり、お粥かゆと点滴で栄養補給しながら、海外諸国を訪問するようなありさまでした。結局、海外でかかったウイルス性腸炎のため、持病は最悪の状態になり、回復の兆しはございません。所信演説でのミスなどもあり、そこで私は記者会見で潔く辞意を表明しました。病気のことは後になって公表しました。

日比

現在の健康状態はいかがですか。

安倍

アサコール(サラゾピリンなどと同じ5-ASA 製剤の1つ)という飲み薬が画期的に効いて寛解状態が続き、「また悪くなるのでは」との懸念がなくなり、精神状態も本当に楽です。CRP(炎症反応)検査値はゼロ、内視鏡検査の結果は「何もない」。この40年間で初めての「何もない」状態です。この薬は欧米では20年くらい前から使われていたのですが、臨床試験の問題もあって承認が遅れました。本当に残念です。

日比

もう健康体といってもいい状態です。

腸に炎症も潰瘍もなく粘膜はきれいです。今後、「何もない」生活が送れる可能性もあります。患者の中でも自然治癒を思わせる人が出てきました。中等症や軽症者の入院はほとんどなくなりました。炎症がなければ健康な人と同じ生活ができ、問題はないのです。

安倍

潰瘍性大腸炎患者としての希望は、1つはこの病気を希少疾患とオーファンドラッグ(希少薬)のワクを外して製薬会社が創薬に思い切り挑戦できるような環境を整えること、もう1つはアサコールの話がでましたが、ドラッグラグ(治療薬承認の遅れ)を解消して、薬を日本人患者が早く使えるようにすることです。現在の希少疾患の基準は患者数5万人未満です。

(中略)

安倍

医学の進歩で延命させていただいた政治生命です。ご恩返しに闘う政治家として今後もわが日本を「美しい国へ」(自著名)、自立した国家へ導くべく頑張ってまいりたいと思います。

(以下省略)




先述の対談相手である日比先生への思いが良く伝わる文章を週刊現代に寄稿しています。悩み苦しむ安倍さんと日比先生の優しさにちょっと泣けてきました。

著名人たちが明かす「私の名医」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/22877?page=3

いい医者に会えてよかった!

(週刊現代)

いまでこそセカンドオピニオンの重要性は浸透しつつあるが、それはここ数年のこと。10年ほど前は、他の医者の意見も聞きたいと言うと、「俺が信用できないのか」とばかりに、主治医に嫌な顔をされることも珍しくなかった。そのころ、セカンドオピニオンを嫌がらない医者に救ってもらったという、政治家がいた。

1日に20~30回もトイレに駆け込むようになり、夜も4~5回はベッドとトイレを往復するようになって寝られなくなる。こうした症状は、何の前触れもなく起こり、ひとたび発症すると1ヵ月間ぐらい続きます」

こう話すのは、元首相の安倍晋三氏(57歳)だ。長年、潰瘍性大腸炎を患ってきた安倍氏が出会えた名医とはどのような人物だったのか。安倍氏が続ける。

「神戸製鋼に入社したあとの、20代半ばの頃のことです。発症から1ヵ月経っても治らないので会社の病院に行ったところ、はじめて潰瘍性大腸炎という診断を受け、専門医がいるという慶応大学病院を紹介されました。現在は同病院の消化器内科の日比紀文教授と高石官均講師のコンビに診てもらっています。

とりわけ'06年9月に首相に就任した後は、大変お世話になりました。幹事長、官房長官時代はおさまっていた炎症反応が、再び出始めてしまったのです。そこで日比先生には、'07年1月の欧州歴訪以降の外遊に同行していただきました。首脳会談の途中、急に便意をもよおし思考能力が鈍ってしまったら、総理としての責任を果たせないからです。先生がそばにいてくれたので、非常に心強かった。

もっともその後、この持病が原因で総理辞任を余儀なくされましたが、在任中は夜遅くに突然体調が悪くなった時でも、無理を言って日比先生や高石先生には何度も公邸に来ていただくなど、献身的に診てもらいました」

両者の信頼関係がさらに深まることになったきっかけ---それがセカンドオピニオンだったと、安倍氏は次のように明かす。

「実は、日比先生に大変お世話になる一方で、セカンドオピニオンを求めて、別の病院に『浮気』したことがあります。党の国対副委員長を務めていた'98年前後のことです。ちょうど私の持病が悪化していた時期で、もし日比先生のところに行けば、まず間違いなく入院をすすめられるだろうし、そうなったら政治活動に支障をきたすと思い、入院だけはなんとしても避けたかった。

そこで、セカンドオピニオンを得るつもりで、都内のある病院を訪れて内視鏡で診てもらったところ、病状が非常に悪化していることがわかり、結果的には約3ヵ月間入院しました。その間、食事はできず点滴だけでしたから、現在70kgある体重が、45kgぐらいにまで落ちてしまいました。

しかも、いつまで経っても退院の見通しがまったく立たない。不安に駆られたのです。どうすればいいのか。そこで私は『浮気』してしまった手前、とても心苦しく、非常に気が引けたのですが、入院先から日比先生に電話を入れました。

すると日比先生は、『とにかくすぐに来るように』とあたたかく転院を受け入れてくれた。一度はよその病院を頼った私を再び快く受け入れてくれたのです。この時はほっとすると同時に、本当にありがたかったです。当時はまだセカンドオピニオンを前向きに捉えてくれない医師が多い中、日比先生は何よりもまず私の体調を真剣に心配してくれた」

日比先生の懐の深い対応に助けられた安倍氏は、日比医師に出会えた幸運を次のように感謝する。

「現在に至るまで、私の相談や悩みも親身に聞いてもらっています。

総理退任直後、同じ潰瘍性大腸炎を患っている、医師である渡辺喜美さんの妹さんが、『自分も飲んで効果がある』と言って『GBF』という特定疾患用健康食品を下さいました。一般的に大学のお医者さんは健康食品を積極的にすすめてくれませんよね。しかし、日比先生に飲用していいかどうか相談したところ、『試してみたらいい』といってくれた。その後、症状が緩和され、寛解期を延ばすことができているんです。

腸の炎症を抑える薬も二人で相談して決めています。現在はアサコールという腸の炎症を抑える薬だけを使っています。潰瘍性大腸炎は、血液検査のCRP(腸の炎症反応)の数値を見て病状を判断するのですが、この2年間はずっと0.3と正常値以下です。

これまで私は炎症反応を防ぐため、お酒を飲むのを控えていたのですが、体調がいいため酒を試しに飲んでみても、炎症反応は起きていません。完治したといっていい状態にまでこられたのは、日比先生の的確な処置のおかげです


これらの事実を知った上でもまだ、「お腹痛くて辞めた人」とか「安倍さんはお坊ちゃんだから」とか言えますか。

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