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【拉致問題】「救う会」会長・西岡力さん「真の意味での主権回復とは?」

2013.5.11に行われた、「主権回復記念日国民集会」における「救う会」会長・西岡力さんの演説を文字起こししました。

2/3【完全版】平成25年 主権回復記念日国民集会[桜H25/5/11]

「救う会」全国協議会会長 東京基督教大学教授 西岡力さん

※動画の26分から西岡さんの演説が始まります。

西岡さんの演説から拉致問題に関するポイントをまとめました。

一番最初の拉致事件は50年前に発生した寺越事件である。社会党(今の社民党)はこれを美談にすり替えてしまった。
※関連記事:「寺越事件」拉致と認識 救う会要望に古屋担当相(2013.5.18)

この件以外でも社会党(社民党)は罪深いです。

88年、北朝鮮に拉致された石岡亨さんは家族に宛てた手紙を外国人に託します。ポーランド消印の手紙を受け取った家族らは、藁にも縋る思いで北朝鮮と友好関係にあった社会党の土井たか子委員長に助けを求めます。しかし朝鮮総連兵庫支部に連絡を入れて結果的に事件をもみ消してしまう。社会党は拉致を認めていませんでした。

社民党の公式HPには、《「韓国安全企画部や産経新聞のデッチ上げの疑惑があり、少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない」と事件の捏造を断定する趣旨の北川広和の論文を載せていた。》(wikiより)そうで、しかも金正日が拉致を認めた後も約2週間もそのまま(阿比留さんブログより)だったとか。救いようのない政党です。

北朝鮮に拉致されていた当時の曽我ひとみさんは、日本から助けが来るのを待っていた。
1990年、曽我さんは金丸訪朝団に期待をかけたが、拉致問題が議題に上ることはなかった。

「政界のドン」と呼ばれた自民党田中派・金丸信と、当時社会党の副委員長であった田邊誠(その後委員長)らによる金丸訪朝団。金丸は北朝鮮から金塊貰ったとか弱み握られたとか悪い噂しか知りません。田中派と社会党といえば、民主党の構成要素です。田邊は民主党設立にも関わっています。民主党があの半島にズブズブなのはこの頃から分かっていたとも言えます。

大物議員二人を含む訪朝団ですから、この時の曽我さんは期待した分だけさぞや口惜しかったことでしょう。それでも諦めずにいてくれた。今でも多くの拉致被害者らが諦めずに待ってくれている、その気持ちに少しでも早く応えなくてはなりません。

一時帰国した拉致被害者らの本心は、「日本が守ってくれるならば日本に残りたい」であった。

一時帰国した拉致被害者らの本心がマスコミに漏れぬよう細心の注意を払いながら、安倍さんと中山恭子さんは断固として彼らを守りました。あの時のマスコミや解説者らは、「一時帰国なのだから、北朝鮮との約束を守って返すのは当然だ」という論調でした。更にこの時の政府=つまり安倍さんと中山恭子さんに対してマスコミは、彼らの帰国の邪魔をし、北朝鮮にいる子供達との仲を引き裂く人非人のような印象操作で世論誘導を行いました。あの時、マスコミの世論誘導の怖さを知りました。マスコミに対する不信感も芽生えました。「非道な誘拐犯に人質を返せというのか。マスコミは一体どの国の味方なんだよ…」 思い出しても怒りが込み上げてきます。それと同時に身の毛がよだつ恐ろしい話でもあります。

この時の安倍さんと中山恭子さんのエピソードはお二人が信頼出来る政治家であるという証左でもあり、私が恭子さんを尊敬する理由でもあります。

以下、演説の全文です。




西岡力さん

ご紹介頂きました、「救う会」会長の西岡でございます。

昨日、私、実はあそこに立っておりまして。昨日も来てくださった方が、ここに沢山居ると思いますけれども。昨日、拉致被害者を全員助ける為の国民大集会を開かせて頂きました。

先程も何人かの先生方がお話し下さいましたけれども、一千万筆の署名を達成することが出来ました。

実は私共の運動も、井尻先生達がこの運動を始めた、同じ平成9年に始めました。

そして私共は、平成9年は力が無くて、東京で百人くらいの集会しか出来なくて、国民大集会をやったのは平成11年です。

そして平成11年のとき、確か九段会館だったと思いますけれども、先生方が集会をしていたんですが、私、井尻先生にわざわざお願いに行って、「入り口の所でチラシを撒かせて下さい」と。

私達、第1回の国民大集会を5月2日に計画していたんですが、当時我々の、東京での動員能力は約300人だったんです。

ここの会場でやる、北朝鮮が見ていて、2階まで人が集まらなかったら、あるいはガラガラだったら、「日本人は拉致問題に関心が無い」と思われてしまうんではないか、と思いまして……

「北朝鮮のスパイ! 」の野次に動揺する西岡さん

私も家内の妹の兄貴の子供とか…もう選挙みたいに、「何でもいい、分からなくていいから兎に角座っててくれ」と言って集めたんですが、その時、多分、九段会館から沢山の人が来て下さったお陰もあったと思います。

幕間から見ましたら、連休中の真ん中に、1300人の人達が集まって下さっていたことを、今でも思い出します。

その時から、先生方に、この運動の皆さん方に、お世話になってきたということを先ず申し上げなければなりませんし、昨年は日比谷公会堂の日程の問題もあったんですが、同じ日に、我々は国民大集会を致しまして、井尻先生に叱られまして。

「君達主権をどう考えているんだ?」と言われて、「気持ちは一緒で、一緒にやってるんです」と言うふうに申し上げて、自民党の先生方は我々の集会に出た後、自民党の方に行って頂くという――平沼先生もそうされましたけれども――その様な形をさせて頂きました。

「教科書をつくる会」も同じ年に始まっているんですが、16年前、日本が少し変わり始めたのかなと、話を聞きながら思っておりました。

そして、主権回復記念日と書いてありますけれども、しかし別の意味で、『祈』という字にも変えなくちゃいけないんじゃないか。つまり『未だ全部回復してない。』というふうにも思うんですね。

拉致問題の観点から、そのことについて少し申し上げます。

実は主権が回復された昭和27年。その11年後に、今明らかになっている最初の拉致事件が起きます。寺越事件です。今年で50周年になります。

石川県の極海岸から近い磯に網を掛けていたんです。その網の中に魚が居るかどうか、漁船で3人、日本の漁民が行きました。

そうしたら船だけ出てきて行方不明になってしまった。

24年間何も分からなかった。

北朝鮮で生きていると手紙が来たんです。

そして北朝鮮側の主張は「救助してやった」

そして、「北朝鮮に行ったら北朝鮮が良い国だからそのまま残った」という嘘をついたんですが、当時の社会党の国会議員が間に入って、家族が北朝鮮に行って、北朝鮮に感謝する、ということで事件が表に出ないで、拉致とは分からないまま処理されてしまった。

そして、その後分かってくるんですが……

またしても西岡さんに対する野次が…

(何故分かったか)それは専門家だからですが…元工作員から聞いたんですが……

「北のスパイだ!」と私のことを言う人が居るってのは初めてですね(苦笑)

元工作員から聞いたんですが、そこで漁民が一人殺されています。

そこはちょうど工作船の上陸地点だったそうです。

上陸地点を見られたら殺さなくちゃいけない。

しかしそこに子供が一人居たので――13歳の少年が居たんです。――それで拉致しようと思い、「上がれ」と言ったけれども抵抗したので一人殺した、と。そして重りを付けて海に沈めた、と。

ということをやった人から話を聞いた人が、今、韓国に亡命してきて話をしています。

日本人が日本の近海で漁業をしていて、北朝鮮の工作船が入ってきて、その場で二人拉致され一人殺され、その事実が24年後分かったのに、感謝を向こうにした。

「これで真の意味で主権が回復したと言えるのか」という問題意識であります。

そして、同じ様に講和条約を発効した後、25年経って横田めぐみさん拉致が起きます。その次の年には、蓮池さんや地村さんや市川さん達、どんどん拉致されます。

その後20年間何も起きませんでした。

北朝鮮が拉致したという事実を、政府は事件の直後から知っていました。

警察が電波を傍受していて、北朝鮮の船が日本近海に来ていた。その来ていた時に失踪事件が起きていた、ということを知っていたんです。

しかし何もしませんでした。

主権は誰が守るのか。闘わなければ守れないと思います。

今から16年前、先生方が立ち上がったと同じ年に、家族会が出来ました。

家族の人達は、実は家族会を作る時、大変悩みました。

名前を出して訴えたら、北朝鮮に居る被害者――横田めぐみさんや増本るみ子さん達が殺されるのではないか。証拠隠滅の為に殺されてしまうかもしれない。

実際に、当時の日本政府からはそのようなアドバイスを貰っていました。

しかし20年間何も起きなかった。名前を出して訴えなければ、後20年間何も起きないだろう。

子供達は北朝鮮で、北に居ることも分からないまま死んでいく、親達もそのまま死んでいくだろう。

「日本の世論に望みを掛けて、世論に訴えよう」という悲壮な決意をされたのが今から16年前でした。

それを見ていた荒木(和博)さんや私共専門家、そして心ある国民が救う会を作りました。そして16年、運動をしてきました。

その結果、1千万の署名を集める事が出来ましたが、未だ5人しか助け出すことができておりません。

昨日、曽我ひとみさんがここで話をしていました。

「北朝鮮に居る時、ずっと日本の助けがいつ来るのか待っていた」

昨日は曽我さん、話していませんでしたが、1990年に金丸(信)という方と、田邊(誠)という日本を代表する与野党の大物政治家が北朝鮮を訪問して金日成に会ったんです。

その時曽我さんはテレビを見ていたそうです。

そして、「日本の政治家が来たんだから、日本人である私が不当に拉致されていることが議題になっているはずだ」と、心の中では思っていたと。

しかし議題にならなかったんです。

家族会が出来て、救う会が出来て、運動を起こして世論が起きて、小泉訪朝の時に議題になりました。

しかし金丸訪朝の時の外務省の課長は、小泉訪朝の時の外務省の局長です。

世論がなければ無視しようとした人が、今度は5人が日本に帰ってきたのに、もう一度北朝鮮に返そうとしました。

あの時私は、実は被害者達が、田舎に帰って最初の夜を過ごした時に、マスコミの記者会見の担当だったものですから一緒に行きました。

小浜で、ある被害者の家で私が寝ていたら、夜中の3時頃、被害者のお兄さんが、トントンと(ドアをノックして)来て、「西岡先生。弟が、日本政府が守ってくれるなら日本に残りたいと言っています」と言いました。

洗脳なんかされていなかったんです。しかし北朝鮮に子供が未だ残ってるんです。

「帰りたいと言ったという事が公開の席で出たら、子供がどうなるか分からない」

だから絶対に秘密で、中山恭子さんと安倍晋三現総理にお伝えしました。五人がそれぞれ決断をして、伝えた後、日本政府の責任で本人達の意思を問わないで、日本に残すという決断があった訳です。

国家というのは国民を守る為にあるものです。そしてその国家が、国民を守ることが出来るのは主権があるからです。

私はその被害者の兄と、夜中にその話を聞きましたが、次の日の朝、朝ご飯を食べたあと、その日、皇后陛下が丁度お誕生日で、お言葉を述べられて、その中で「拉致被害者――この人達の不在を、私達共同体がもっと早く気付いておくべきだった」というお言葉をされたので、それ(=記事)を真っ赤に塗って、「これを見て下さい。日本は守りますよ」ということをお伝えしました。

日本国民を全員取り戻すことが出来なければ、真の意味での主権回復にはならないのではないか。

そういう点でも主権回復をメモリアルするという記念だけではなくて、願い、闘うという祈念、その両方の記念日を是非制定して頂きたいと、心から思っております。

ありがとうございました。




※関連記事

ニュースでは大きく取り上げられていませんが、飯島参与訪朝の件やこのニュースなどもそうですが、確実に動いているようですね。拉致問題の解決に向けて参院選は是非とも安倍自民党に勝ってもらいたい。

「寺越事件」拉致と認識 救う会要望に古屋担当相

北國新聞:2013.5.18 01:57 ソース:http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20130518102.htm


1963(昭和38)年5月に日本海で行方不明になった寺越昭二さん=志賀町出身、失踪当時(36)=の親族らは17日、内閣官房に古屋圭司拉致問題担当相を訪ね、「寺越事件」の真相究明などを求めた。非公開で行われた要望後、会見した救う会全国協議会の西岡力会長によると、古屋氏は「寺越事件の解決なくして拉致問題の解決はない」と明言し、同事件について北朝鮮による拉致問題であるとの認識を示したという。年内に拉致問題担当相として初めて志賀町の失踪現場を視察する意向も示した。

政府は、これまで昭二さんらを拉致被害者に認定していない。昭二さんと一緒に行方不明となり、現在北朝鮮の平壌で暮らす、おいの寺越武志さん(63)は拉致ではなく、「北朝鮮の船に救助された」と証言している。

要望では、政府の方針である「拉致に関する真相究明」の中に「寺越事件」が含まれるかどうか確認。古屋氏は「安倍内閣として、政府の拉致認定の有無にかかわらず全員救出する方針だ。その中に寺越事件も含まれる」と応じたという。

要望後、昭二さんの長男寺越昭男さん(63)=金沢市=は記者団に「寺越事件が拉致でなく救助になったら困るとずっと心配してきたが、大臣の話を聞いて心配は消えた」と語った。西岡会長は「政府が事実上、寺越事件を拉致と認めた。大きな前進だ」と強調した。

西岡氏は、古屋氏の失踪現場視察に合わせて、政府や救う会などによる「寺越事件」の国民集会の開催を目指すとした。開催時期は今後、県や救う会石川と協議する。救う会石川事務局長の大口英夫県議は古屋氏の視察や集会に向け、県議会で超党派による拉致問題の議員連盟の早期設立を目指すとした。

次男の北野政男さん(62)=志賀町=は「大臣から現場を見たいと言われ本当にありがたい」、三男内田美津夫さん(59)=羽咋市=は「良い返事を聞けて本当に喜んでいる」と語った。

要望には、拉致被害者家族会の増元照明事務局長らが同行した。一行は東京・永田町の事務所で、超党派による拉致救出議員連盟会長の平沼赳夫衆院議員にも協力を要請した。

救う会全国協議会は17日、都内で特別集会「寺越事件50年、今何をすべきか」を開き、昭男さんら3兄弟や西岡氏、家族会代表の飯塚繁雄さんらが真相究明に向けた方策を話し合った。約100人が参加した。

昭男さんは「真相を一番よく知っている武志が本当のことを言える環境をつくってほしい」と主張した。内田さんは「おやじの遺骨が北朝鮮にあるのなら、持ち帰って母の墓に入れてあげたい。子としてできるせめてものことだ」と思いを吐露した。

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